うたを歌うとその人の存在が出てくる、だから自分でうたうことは難しいと思う、という話・・・をしようと思ったが、それだけの話なので、本文は特になし。
自分が歌ったものを録音したものを聞くと、嘘がつけないので、その意思や存在の虚ろさに愕然とする。いまある、今持つ自分のものより良く見せようとすると、それは声に出ていて、すぐ分かって恥ずかしい。開き直ることも必要だろうか?
声を出すのに、何かを整えられる人だということなのか、それとももともと存在がある姿に整っている人だということなのだろうか、両方かもしれないけど、自分には後者に思える。特に根拠はない。それが、私の憧れる姿だからかもしれない。
同じ、声を出すはずの存在として、その出会いに衝撃を受けた、静かめのうたを歌う人3名を挙げる。
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スッパマイクロパンチョップ『でこぼこ』
青葉市子『ひかりのふるさと』
Tenniscoats『Baibaba Bimba』