プレタ用

@pure_taa

半身ともいえる日記について

はてなダイアリーのサービスが終了する。

 

http://d.hatena.ne.jp/hatenadiary/20190129/1548687783

はてな公式のお知らせ)

 

 

新しい記事の投稿は1/28までだったので、実質的にはサービスが終了したようなもので、これから私は自分の日記をはてなブログへ移行しなければならない。

 

 

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実は、12年間、日記を書いている。

毎日ではない。1か月に3日しか書かなかった時もある。

内容も、学生時代は起きた出来事と心象などを事細かに書いていたが、最近は休みの日にあった面白い出来事をメモするような気持ちで書いていた。

 

 

例えばこれまでの人生、正確に思い出せる”ある一日”はどれだけあるだろうか。

私は、自分が書いたことを忘れない、と思っている節がある。絵なんかは描いてる時のことをとても細かく覚えている。ここでこう筆を置いた、この色を置こうといつ判断した、とか。文章もそうだ。

と、思っていた。

 

 

景色は曖昧になっていく。最近、そう思うようになった。

思い出せない記憶は、もう私のものではない、空白だ、とは思いたくない。摂取した栄養が肉体を作るように、体験が私を形作っていると信じたい。

ただ、書いた文章が、文章を読むその時々の私から離れていくのを感じる。なんとなく、それが寂しい。分かっていたものが、分からなくなるということなのだろうか。失われたとまでは感じないけれども、近しく親しい感覚が、遠いものになったような感覚は、どちらかといえば、やっぱり寂しい。

 

 

でも、私はちょっとトロいので、書かないと自分が思ってることが分からないまま次の日になったりする。そうしてそれを7回も続けると、忘れてしまう。

私には何もないけど、白紙を前にすれば文章が出てくる。それは時間を知覚し、空間を認識し、他者を体験したからだ。それが存在の証明だと感じていたし、今でもそう感じている。

だからやっぱり日記を書く。私に必要なので、書く。

一文字一文字に感覚を集約させると、まるでその日のわたしというものに輪郭を与えたような気持ちになる。

かたちにしなければ、霧散してしまうような気になる。ジャンキーかな?

 

 

結論が、出ないまま書きはじめてしまった!

はてなダイアリー、ありがとうございます。

はてなブログに移行しても、日記は続けたいと思います。宜しくお願いします(誰にともなく。)

 

 

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