今、夜の10時半なんですが、燻製を始めたためにしばらく起きておく必要があり何か書くことにしました。
最近車通勤中に倉橋ヨエコの顔芸カラオケ大会してて気付いたことについて書きます。
感情の欠けた人生を送ってきました。
小学生の頃は「ロボットみたい」と言われ、中学生の頃は解離症状を当然のことと思い続け、高校生の頃は「人間じゃないみたいだった」と言われてきました。最近はどうも色々あったせいか人間サイドに寄ってきているようです。一度は人間になってみたいと思い続けた甲斐があった、模倣は大事です。
そんな私が歌詞について感じる事は、その他人というある人間の仕組みが演算されたものだったので、人の声色というものについてあまり考えた事がなかったんです。
最終的には暗い話じゃないよ!
人の歌を歌う時にそっくりの声色を真似するようになったのはこの数カ月だ。
今まで真似したのは、倉橋ヨエコ、小林大吾、MAKKENZ。どれも歌詞が大好きな人たちだ。10年前から聴いてはいたが、声に含まれる感情の抑揚についてほとんど何かを感じたことはなかった。
そもそも声色について初めてちゃんと感じたのは最初はスッパマイクロパンチョップの歌を聴いてからだった。2016年ごろの話で、うわっ本当にやさしい!!!ってのはこういう声なのか。人はこんな声が出るのか。と驚いた。例えるならおやすみ前のお話を、ただひとりに読み聞かせるような声だ。ひり出しているのに人を邪魔しない声。
そのあとライブでスッパさんの生の声を何回か聞いて、人はこれくらい声に何かを込めることができるんだなぁとぼんやり思っていた。感情がすんなり入るのは生で聴いたからか、本当に出ているように思えるからかは分からなかった。
ところで、そのスッパさんのアルバムを聴いたのは3年前くらいだ。MAKKENZのアルバムは10年前から聞いていた。
小林大吾もMAKKENZと同じ時期から。
倉橋ヨエコは8年くらい前から。
どれもほとんど歌詞だけ聴いていた。小林大吾はもはや物語のように聴いていた。荒唐無稽な起承転結、こじゃれた気のきく言い回しの雨あられ、ポエトリーリーディングはその言葉のステップがこんな風に伝染するほどに言葉の回路を組みかえる力があると知った。
本題に入ろう!
それで今日は顔芸をしながら通勤した。今日は倉橋ヨエコ。先週は小林大吾。その前はMAKKENZ。その前はなんとなく色々やってみていた。
最初は仕事のストレスから逃れるために小林大吾の歌詞を暗唱できるよう覚え込むつもりでいた。小林大吾の詩はだいたいそれぞれ軽めの児童書くらいの分量がある。
何十回も歌詞を聴くうち、そのうち小林大吾のこじゃれた言い回し方、というか、言葉以外のニュアンスが気になってきた。どうも同じ言葉を話しているのに小林大吾の方が常に私よりオシャレで軽快、優しいのだ。
どうせなら優しい言葉で人をたぶらかしたり、否、元気づけられるほどに言葉を使ってみたいと思い、とにかく優しめに言ってみた。でも何か違う。
感情をトレースするように話してみたら小林大吾に少し近づいた。
優しい顔というか、目の前に人がいて、身振りと言葉で人を元気づけようという気持ちで
リーディングするとまた少し近づいた。このあたりから顔芸が入ってきたように思う。
MAKKENZも常日頃声で読んでいる。表情筋と感情が死んでいても歌えるのはMAKKENZのすごくいいところだと思う。抑揚があまりないので歌詞に集中できて好きだ。言葉の方に感情を詰め込めるだけ詰め込んでいるんだと思う。「心と身体が均衡する のは君と触れ合い物質的な脳が震えた瞬間」というところなんか言葉と意識のタイムラグというか、そのギリギリ存在するような一瞬の隙間を感じる。そこが私にはなんだかやけにリアルなのだ。
ところで倉橋ヨエコの感情の幅はすごい。そもそも歌詞が結構生々しくハードだ。もし私の友達がその彼氏に「おそうじをさせてくれてありがとう」と言うような関係だったら「ちょっと落ち着け、そいつと付き合ってて大丈夫か?」と心配すると思う。でも信じられないくらい生々しい。倉橋ヨエコの歌詞にあるような恋の熱暴走は身に覚えがありすぎる。
その倉橋ヨエコの歌詞は、歌詞だけ読んでいるともう相当なんか色々ダメなんじゃないか、という状況がわんさか出ているのに、よく聴いて声をできるだけ真似してみるとどうしても少し顔が楽しそうなんじゃないかという声色が多い。
正確には笑っているというか、顔の筋肉が横に広がるような動きをした時の喉の広がり方が倉橋ヨエコの声に似せられる要因らしい。
なので「あなたを食べてもいいですか」という歌詞を楽しそうかつ企みニヤッと顔で歌って楽しんでいる。
なんでそんなに切羽詰まった歌詞なのに、余裕があるような歌い方ができるのか、何度聞いても不思議だが、倉橋ヨエコのその声を聴くとなんだかそういうことがあるよね、と聴くたび納得してしまうのだ。
それで声色って面白いなぁと重い、これらの人たちの曲をだいたい大音量で曲をかけて、自分の声に被せる感じで声の質を聴きながら真似している。
んだけど、今日はなんだか歌詞を思い出しながら歌っていたら、自分の感情がいつの間にか歌詞に寄るというか、言葉に自然に感情が乗ったような声になった。例えば今までは倉橋ヨエコの一瞬後を、自分の声を倉橋ヨエコに寄せながら歌っている感じだったんだけど、今日は歌詞を思い出しながら歌っていたらいつの間にか倉橋ヨエコと同時に歌っていた。
これはどういうことなんだろうなぁと思いながら、行きも帰りも顔芸しながら帰ってきた次第であります。
そういえば私の持ち歌は中島みゆきの『わかれうた』で結構評判がいいので私とカラオケ行く稀な人は聴いてみてほしいです。あそこまでハードな経験はしたことないんですが声質が似ているせいか声色はかなり似ているようです。思えばここから声色を似せるということが始まった気がします。
それから今思い出したどうでもよいこととしては、初音ミクをずっと聴いてた時は何歌っても「ミクの声の出し方に似てる」と言われたのでもともとすごく影響を受けやすいんだと思います。ミクは感情が歌詞の方に乗ってるような気がして親近感を持ってます。
あれだけ触れといてスッパさんの真似はしないのかという感じだけど、なんというか生で聴いたからかあんまり真似する気になれないんですよね。スッパさんの歌もの聴いていると、ああいう風にというか、私が人を邪魔せず歌えるものを掘った方がいいなぁと思います。
今色んな歌うたいの人の声色を見るのが楽しいです。声色という新しい情報量が増えて世界が広がってます、という話でした。
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ここまで書いてだいたい45分くらいですね。文章書くって色々思い出して面白いね!
また半年後くらいには何か書いてるかなぁ。
ではね!読んでくれてありがとう!アディオース